@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:00000360, author = {小林, 健彦}, issue = {62}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要, BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS}, month = {Feb}, note = {論文(Article), 日本の12世紀はあらゆる意味に於いて騒然とした、転換点とも言うべき時期であった。それは政治・軍事史的にも経済史的に於いても言い得ることであったが、気候的には平安海進期(ロットネスト海進期)が漸く終わりを迎えようとしていた「暑熱の時期」にも当たったのである。歌人藤原定家(ふじわらのさだいえ・ふじわらのていか)が自身の私日記である「明月記(めいげつき)」〔建久7年(1196)6月25日条〕(1)に於いて示した「天」に関わる対空間認識である「天變頻示、凶事間聞」とする記述は、地上側に於ける騒然として乱れた状況が、「天」をして、「暑氣殊甚」とした異常気象を発現させ、人々へ対して啓示・警告を行なっているとした思想である。それは必ずしも気候変動に関わる事象のみを対象とした訳ではなかったものの、その前後に於いて記されていた「暑氣殊甚」とした実際上の高温、多湿の状況と生活上の苦悩とがその大きな背景としてあったことが推定される。つまり、その基底には平安海進に依る気温の上昇が、特に、夏季に於いて顕著に出現していたことが考慮されるのである。本稿は、12世紀に筆録をされていた「明月記(照光記)」(筆録期間1180~1235年)を中心としながら、他にも「永昌記」(記主藤原為隆、同1105~1129年)、「山槐記」(記主不明、同1151~1194年)等、西暦1100年代をほぼカバーすることのできる日記・古記録類に記されていた、気象現象に関わる記事を中心としながら、当時の日本在住者に依る対気象観を検証したものである。平安海進期(ロットネスト海進期)が漸く終わりを迎えようとしていた「暑熱の時期」であるとした視点、課題意識、所与の条件より、12世紀日本に於ける気候変動や対気象観のテーマに対して、人文学的観点―文化論的観点より追究を行なった。尚、特に注記しない限り、本稿中で用いた引用史料は全て「明月記」中のものである。, application/pdf}, pages = {39--62}, title = {12世紀日本の気候変動と人心}, year = {2023} }