@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:00000342, author = {小林, 健彦 and KOBAYASHI, Takehiko}, issue = {58}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要, BULLETIN OF NIIGATA SANGYO UNIVERSITY FACULTY OF ECONOMICS}, month = {Jun}, note = {application/pdf, 日本では、古来、様々な自然災害―大雨、泥雨、洪水、浸水、土石流、地滑り(陸上・水底)、地震、津波、火山噴火、大雪、雪崩、雹、台風(大風)、暴風雨、竜巻(辻風)、落雷、高波、高潮、旱害、低温、高温、蝗害、黄砂、飛砂、塩害、山火事等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、火災(失火)、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、彼らは忍耐を伴ないながらも、その都度、復旧、復興しながら、現在へと至る国家や、その基盤となって来た地域社会を形成、維持、発展させて来た。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階に在って、人々は口承、地名、石造物等の方法論を以って、そうした災害情報を後世へ伝達するべく、多大なる努力を払っていたものと見られる。カナ文字(ひらがな)が一般化する様になると、記録としての個人の日記や、読者の存在を想定した物語、説話集、日記、紀行等、文学作品の中でも、各種の災害情報が直接、間接的に記述される様になって行った。しかしながら、文学作品中に描写された災害事象が全て事実であったとは言い難い。ただ、最初から嘘八百を並べたものでは読者からの支持を得られる筈も無く、その作成に際しては、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害事象)を元にして描かれていたことは十分に考慮されるのである。従って、文学作品中には却って、真実としての、当時の人々に依る対災異観や、思想が包含されて反映され、又は、埋没していることも想定されるのである。本稿では、こうした点に鑑み、日本に於ける対災異観や、災害対処の様相、及び、思想を、意図して作られ、又、読者の存在が想定された「文学作品」を素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学に、どの様な災異観の反映が見られるのか、否かに関して、追究を試みた。今回、具体的な素材としては、紀貫之の筆に依るものと見られる「土佐日記」を取り上げ、そこに見られる「祈りのかたち」を明らかにしたものである。}, pages = {27--54}, title = {「土左日記」に見る災異観:祈りのかたち}, year = {2021}, yomi = {コバヤシ, タケヒコ} }