@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:00000315, author = {小林, 健彦}, issue = {56}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要}, month = {Jun}, note = {論文(Article), 東アジア世界、取り分け、日本や韓半島・朝鮮半島では、古来、様々な自然災害や人為的災 害―大雨、洪水、地震、津波、火山噴火、土石流、雪害、暴風雨、高波、高潮、旱害、蝗害、疫病流行、飢饉、戦乱等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、人々はその都度、復旧、復興しながら、現在へと至る地域社会を形成、維持、発展させて来た。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近代以前の段階でも、文字を自由に操ることのできる限られた人々に依る記録、就中(なかんづく)、災害記録は作成されていた。特に古い時代に在って、それは宗教者や官人等に負う処が大きかったのである。正史として編纂された官撰国史(日本書紀、続日本紀、三国史記等)の中にも、ある種の意図を以って、多くの災害記録が作成されていた。古代王権は、或る種の意図を以って、そうした自然災害を文字情報としての記録に残すことを行なって来た。ここで言う処の「或る種の意図」とは、それらの自然的・人為的な事象の発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、政治的、外交的に利用、喧伝することであった。その目的は、災害対処能力を持ちうる唯一の王権として、自らの「支配の正当性、超越性」を合理的に主張することであったものと考えられる。筆者が従前より指摘を行なって来た如く、「咎徴(きゅうちょう)」の語が示す中国由来の儒教的災異思想の反映はその一例である。本稿では、高麗王朝期に、一然(いちねん。普覚国師。1206~1289年)に依り撰述された「三国遺事」を主たる素材として用いながら、自然災害、人為的災害関係記事の内容、 編纂意図や位置付けを、言語文化、文化論の視角より探ってみることとする。「三国遺事」に於いては、如何なる対(自然)災害観や、災害対処の様相が記録されていたのか、いなかったのかを追究することが本稿の目的とする処の1つである。編纂者の属性から、本稿では仏説に基づく形での話題の展開が中心となるが、そうした思想的な面が及ぼしていた影響をも勘案しながら、「眼光紙背に徹する(がんこうしはいにてっする)」、文面の裏側や奥底に秘められた事象をも追及してみたいと考える。その際、日本へ与えた文化的な影響を考慮するといった、比較文化論の手法も導入する。  尚、本稿に於いて使用する「三国遺事」は、昭和3年(1928)9月に朝鮮史学会が編集、 発行した刊本であり、昭和46年(1971)7月に国書刊行会より復刻、発行された『三國 遺事(全)』である。又、「三国史記」は、朝鮮史学会を編者、末松保和氏を校訂者とした第三版、 即ち、末松保和氏が「朝鮮史學會本三國史記」と表現した刊本であり、昭和48年(1973) 2月に国書刊行会より復刻、発行された五版である。, application/pdf}, pages = {17--76}, title = {東アジア世界に於ける災異認識 :日本と韓半島の比較文化}, year = {2020} }