@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:00000311, author = {小林, 健彦}, issue = {55}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要}, month = {Feb}, note = {論文(Article), 倭国へ漢字を公伝させたとする韓半島・朝鮮半島に於いても、残存する信憑性の高いものは少ないものの、古来、種々の記録類が作成されていたものと推測される。その中に於いても、種々の災害記録が残されている。そうした自然災害、人為的災害に対する認識は、災害情報の記録にも反映され、更には、倭国・日本へも影響を与えていたのであろうか。本稿では、そうした問題視角より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相を文化論として窺おうとしたものである。東アジアに所在していた古代王権は、或る種の意図を以って、そうした災害を文字情報としての記録に残すことを行なって来た。ここで言う処の或る種の意図とは、それらの事象発生を、或る場合には自らの都合の良い様に解釈をし、加工し、政治的、外交的に利用、喧伝することであった。その目的は、災害対処能力を持ちうる唯一の王権として、自らの支配の正当性、超越性を合理的に説明することであったものと考えられる。それでは、韓半島の場合にはどうであろうか。韓半島に於ける正史である「三国史記」は、中国大陸で行なわれていた正史編纂事業を大いに意識して作成されたらしく、日本に於ける六国史、取り分け、「日本書紀」的存在であったのかもしれない。その為、その編纂に際しては、東アジア世界に特有の、特定の歴史観、国家観、対外観、宇宙観、そして、対自然(災害)観等が色濃く反映されていた可能性もあり、史料としての取り扱いには慎重であるべきであって、慎重な史料批判も必要である。それでは、「三国遺事」の場合に在っては、どうであろうか。「三国遺事」は、新羅国、高句麗国、百済国に関わる古記録、伝承、神話等を収集、編集し、そこに就いての遺聞逸事を記した書物であり、高麗王朝期に、一然(いちねん。普覚国師。1206~1289年)に依り撰述され、一部分はその弟子であった無極が補筆したとされる。本稿では、そうして成立した「三国遺事」に記された、自然災害、人為的災害関係記事の内容、編纂意図や位置付けを、言語文化、文化論の視角より探ってみることとする。尚、本稿に於いて使用する「三国遺事」は、昭和3年(1928)9月に朝鮮史学会が編集、発行した刊本であり、昭和46年(1971)7月に国書刊行会より復刻、発行された『三國遺事(全)』である。又、「三国史記」は、朝鮮史学会を編者、末松保和氏を校訂者とした第三版、即ち、末松保和氏をして「朝鮮史學會本三國史記」と言わさしめた刊本であり、昭和48 年(1973)2月に国書刊行会より復刻、発行された五版である。更に、史料引用文中の読み方や現代語訳等に関しては、金思燁氏訳『完約 三国遺事』の記載に依拠した部分が存在することを明らかにしておく。その場合には「完約」として明示する。, application/pdf}, pages = {37--66}, title = {『三国遺事』に於ける災害対処の文化論 :仏教伝播と災異観形成を中心として}, year = {2020} }