@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:00000302, author = {小林, 健彦}, issue = {54}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要}, month = {Oct}, note = {論文(Article), 日本では、古来、様々な災害―大雨、洪水、地震、津波、火山噴火、土石流、雪害、暴風雨、高波、高潮、旱害、蝗害、疫病流行等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、人々はその都度、復旧、復興しながら、現在へと至る地域社会を形成、維持、発展させて来た。それは、日本が列島を主体とした島嶼国家であり、その周囲は水(海水)で囲まれ、山岳地帯より海岸線迄の距離が短い、即ち、平坦部が少なく、土地の傾斜が急であるという地理的条件に依る処も大きい。日本では、所謂、「水災害」が多く発生していたが、こうした自然災害や、人為的な災害としての疾病、疫病(伝染病)流行等も、当時の日本居住者に無常観・厭世観を形成させるに十分な要素としてあったのである。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階でも、文字を自由に操ることのできる限られた人々に依る記録、就中(なかんづく)、災害記録は作成されていた。特に古い時代に在って、それは宗教者や官人等に負う処が大きかったのである。正史として編纂された官撰国史の中にも、ある種の意図を以って、多くの災害記録が作成されていた。このような状況の倭国へ漢字を公伝させたとする、隣地、韓半島・朝鮮半島に於いても、残存する信憑性の高いものは少ないものの、古来、種々の記録類が作成されていたものと推測される。その中に於いても、様々な災害記録が残されている。そうした自然災害に対する認識は、災害情報の記録にも反映され、更には、日本へも影響を与えていたのであろうか。本稿では、そうした観点、課題意識より、韓半島に於ける対災害観や、災害対処の様相を文化論として窺おうとしたものである。シリーズ前半部分に当たる本稿では、地盤に関わる記事を中心として、検証作業を進めて行くこととする。尚、本稿に於いて使用する「三国遺事」は、昭和3年(1928)9月に朝鮮史学会が編集、発行した刊本であり、昭和46年(1971)7月に国書刊行会より復刻、発行された『三國遺事(全)』である。更に、史料引用文中の読み方や現代語訳等に関しては、金思燁氏訳『完約 三国遺事』の記載に依った部分が存在することを明示しておく。, application/pdf}, pages = {71--89}, title = {韓半島に於ける対災異認識と災害対処の文化 : 『三国遺事』前半部に見る事例の検証を中心として}, year = {2019} }