@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:00000216, author = {堀口, 俊二}, issue = {40}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要}, month = {Jul}, note = {論文(Article), 樋口権右衛門(1601-1683)は長崎の人で小林義信ともいわれる.江戸初期の測量術は樋口から始まるといわれ,西洋測量術の開祖である.『世界万国地球図』(1708)を著した.また天文家でもあり,西洋天文学,地球物理学を内容とした『二儀略説』(1667)を著した.樋口は紅毛(オランダ)流測量術と南蛮(ポルトガル)流航海測量術を学んだ記録がある.樋口には建部弘賢(賢弘,世界的な数学者)をはじめ多数の一流の門弟がいる. これまで樋口の測量術に関する優れた調査・研究が多数あるにも関わらず,紅毛流と南蛮流の測量術の両方を総合的に論じたものは未見である.本稿の最初の目的は総合的に論じることである(§1+§2). 樋口の測量術には紅毛流と南蛮流に混乱が見られたり,紅毛流は南蛮流の偽装とする説もある.これは江戸幕府がキリスト教を禁じたことが主な理由である.第二の目的は,樋口が直接ポルトガル人,オランダ人から学んだ測量術および樋口の門弟たちの測量術に分けて,それぞれ紅毛流か南蛮流か考察・分類し(§1,2),樋口の測量術をより明確にすることである.このことにより,これまで紅毛流とされた樋口の門弟や孫弟子には,南蛮流の両方を学んだと推測される者もいるのである.これは本稿で最も力を入れたところである. 江戸幕府の財政を支えたのは佐渡金銀山である.現在佐渡金銀山は世界文化遺産登録に向けて資料なども含めて準備中である.日本のトップクラスの人材が多数佐渡金銀山に投入される.早くも1629年には大坂・京都で活躍する和算家トップの百川治兵衛(1580-1638)が入島し,晩年まで算学を島民に広めている.佐渡金銀山により経済・商業活動が活発になり,それにしたがって数学が必要となった.地役人にも数学が必要になり,また小判作りにも算法が必要になった.このように多方面で数学が必要になり,百川は算学教授を佐渡から要請されたのである. 佐渡奉行曾根吉正の用人として佐渡に来た土田勘兵衛は樋口の門弟であり,南沢疎水坑の測量で後世に名を残し,日本鉱山史に必ず登場する静野与右衛門に追手流算術というものを教えた.佐渡奉行北条新左衛門氏如は樋口の3代目の門弟である.氏如の用人であり,同じく樋口の3代目の門弟で,著名な『分度余術』(1728)の松宮俊仍も入島する.樋口の最先端の測量術が佐渡金銀山に繋がるのである.新しいことはあまりないが本稿が参考になれば幸である., application/pdf}, pages = {111--118}, title = {樋口権右衛門(小林謙貞)の南蛮流測量術と紅毛流測量術}, year = {2012} }