@article{oai:nsu.repo.nii.ac.jp:02000042, author = {小林 健彦}, issue = {64}, journal = {新潟産業大学経済学部紀要}, month = {Jan}, note = {論文(Article), 日本の12世紀は著しい暑熱の時期であった。そこはあらゆる意味に於いて転換点、過渡期 とも言うべき暑い時期でもあったのである。それは政治的・軍事的・経済的、そして、文化的 にもそうであったが、気候的にも平安海進期(ロットネスト海進期)が漸く終わりを迎えよう としていた「暑熱の時期」に当たった。筆者の検証作業に依って、当該期が極端な気象現象の 頻発していた時期であることが次第に判明しつつある。 歌人藤原定家(ふじわらのさだいえ・ふじわらのていか)が自身の私日記である「明月記(め いげつき)」〔建久7年(1196)6月25日条〕(1)に於いて示した「天」に関わる対空間 認識である「天變頻示、凶事間聞」とする記述とは、地上側に於ける騒然として乱れた状況が、 「天」をして、特に「暑氣殊甚」とした異常気象を発現させ、人々へ対して啓示・警告を行なっ ているとした思想であったと指摘をした。本稿では、こうした当時の人々に依って筆録をされ ていた日記史料を主たる素材としながら、こうした過酷な気候変動と向かい合っていた人々の 様相や生活文化に関して更なる追究を行なったものである。, application/pdf}, pages = {53--85}, title = {12世紀日本の気候変動と人心3}, year = {2024} }